猫たちとの日々 [ねこ次元]
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猫たちとじゃれている時間に言葉はいらない。
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可愛い猫たちを見ていると言葉なんていらないね。じゃあ、どうして人間同士には言葉なんてものがあるんだろう?それぞれの民族や国家の文化内容によって、言葉の用いられ方が違うみたいだけれど、何かを相手に伝えるため・相手から受け取るためにコミュニケーションというものは始まったのだろうね…
…だからコミュニケーションを成り立たせていない言葉なんて、本来の目的からズレてしまっていると言ってもいいんだろうね、きっと。
何のための言葉なんだろう?…そして何のためのお喋り?何のための会話?何のための貴方?
何のための人の命?
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説明なんていらない。
猫たちとじゃれている時間に言葉はいらない。
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写真を撮らせてくれるんですね!
我が家の猫どもは駄目、カメラを向けると逃げます。
時々思うんですよ、神様はなんで肌の色と言葉をすべて同じにしなかったんだろうと。
by 斗夢 (2012-08-03 05:45)
猫はあるがままの姿ですね。
人はそういうわけにいきませんね。
そんな関係なんでしょうね。
by 青の風画 (2012-08-03 13:22)
コメントありがとうございます>斗夢さん、青の風画さん。
猫たちの写真を撮るとき、私は地べたを這って猫にすり寄って、時には「ニャ~ゴ」なんて鳴きながら…それはもう、見っとも無い格好でカメラを向けています(笑)
はっきり言って他人さまには見せられない格好です。「ちょっと、あのひと気が変になったのかしら…」などとつぶやかれそうで。
でもこのひと時がたまらなく天国なんですね、実は。
一人ひとりの個性が違うように、一人ひとりの言葉が違っていても当たり前なんですが、それでは社会組織が構成されないので、肌の色とか種の系統とかで分類仕分けして統一しようとするのでしょうね。
肌の色と言葉をすべて同じにしようとする神様が現われたら、きっとこう呼ばれることでしょう…『独裁者ヒトラー』
by 扶侶夢 (2012-08-03 19:40)
どの写真も無防備で
たまらないですね。^^
動物は想いに正直・・・。
裏切れないですよね。
by unicorn (2012-08-03 22:59)