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徒然描写~1~ [日々の背中]

往く川の流れは絶えずして かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし
徒然なるままにカメラに向かいて そこはかとなく何をか写し出さんとや


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かつて遊郭のあった界隈。品の良い遊び人たちが集まっていた古の処には風情を大切にする仕来りがあった。

武家屋敷の名残りには侍の生活が垣間見られる。

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 ▲本居宣長の棲家・鈴家。二階が書斎

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歳を取ったせいか、落ち着いた佇まいが恋しくなる。
我が町の身近なところに見つけたモノクロームの庵。

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私の日常空間 [日々の背中]

'60年代末期、アングラ文化の一端として「ハプニング」というカテゴリーがあり、その中に自分の日常の暮らしを公開して作品にしてしまうというアバンギャルドなアートがあった。
若かった私は一種の憧れのような気持ちで、そんな非日常的な芸術活動に夢を描いていた。

路上での展示や演奏というのもあったが、街ゆく人々が日常をアートとして受け止めるにはまだ違和感があった時代だった。
しかしそれも今では『YouTube』のような媒体が出来て、誰でも簡単に日常をアートにして発表できる環境が整っている。羨ましい限りだ。

アトリエ(仕事場)と書斎とギャラリーを持つというのが若い頃の願望だった。
その三点があれば何だか自分の世界の自由を手に入れたような気分になれた。
それは自己満足の幻想世界かも知れないが、“パンのみにて生きるにあらぬ”人間の希求なのだろう。

スケッチブックや描きかけのキャンバスなど乱雑に置かれているものを整理して並べてみた。
ちょっとしたギャラリーの雰囲気になった。
老後のこれからの時間に自分の作品を展示したギャラリーの中に暮らすのもナルシスティックで良いかもしれないと思った。

壁ギャラ_b.JPG 

そしてそのギャラリーの片隅には愛蔵書で埋められた書庫がある。
書斎兼仕事場として私にとっては隠れ家的な安らぎの場でもある。

私の友人の中にも蔵書家は多く居るが、それぞれの収集に個人のテーマが発見出来て面白い。
蔵書家の多くはもちろん読書家であると同時に蒐集家でもある側面を持っているように思う。私の場合は蔵書の3分の2は最後まで読み切っていない。本というものはただ読むためだけの物でもないという事が最近になって分かってきた。

書庫.jpg
 ▲この一角はほとんど漫画本で埋まっています…(^^;;; 

画架が並んでいるわけではないが、かつて事務所として使っていたスペースが私流のアトリエ~仕事場である。
若い頃から「仕事は日常生活の延長上にあるべき」と考えていたので結局この様なライフスタイルになった。
人生の終盤には北欧フィンランドにアトリエを持って、そこでゆっくりと絵を描いていたいなどと話していた事もあったが…最近は色々な事情で「無理かな?」と思うようになって来た。
もう少し先になればベッドや家裁道具を持ち込んで、ギャラリー兼アトリエで寝泊まりする生活をしてみようかと考えている。日常生活を公開して作品にしてしまうという試みがここで成就する事になるかも知れない。

壁の額.JPG 

現在はもう殆ど隠居に近い日々の過ごし方だが、実は心の底で再び社会的デビューを企んでいる部分がある。
個人の心情としては「老いたる者は禅譲すべし。後方支援に尽くすべし」という考えで口に出してもいるのだが、ひとつだけ出来れば実現させておきたい事があるために、まだ心残りが少しある事も事実なのである。

いさぎよくこの社会に未練を断ち切れるのはいつの事やら?

 


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ささやかなデビューをめざして [日々の背中]

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四十代の初めに漫画のコンテストにエントリーして賞を得たことがある。
狭き門の受賞なので名誉なことらしく、全国紙の地域欄で記事として紹介された事もあって
まだ若気の私は意気揚々として喜んでいたものだった。

もっと上のランク入りを狙おうと思っていたが、生活上のトラブルが重なってそうもして居れなくなり
落ち着いた頃には毎年恒例だったコンテスト自体が無くなってしまっていた。

…それから20年が経過して、
還暦を迎えた私は社会的立場から距離を置く“精神的な隠居”を決め込んでいた。
自分なりに栄光も挫折も味わったつもりで、世の中の一般的な尺度から解放されたいという思いもあったからだ。
名誉も求めず、社会的評価という基準からも離れることは引きこもりではなく“自己満足に生きる”ということだった。

ある時、「絵本という自己表現」に気づいてから少しずつ私の未来が変化を始めた。
社会的なものに対する忌避意識と解釈が少し変わり始めたようだった。

様々な葛藤があることには変わりないが、
とにかく私の部分(肉体と精神)の半分を社会と関わり合おうと考えるようになった。
それが「還暦デビュー」というコンセプトの成り立ちである。

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私としては多少なりとも忌避していた“社会的なるもの”にこちらから出向いて行こうとするには気恥ずかしい気持ちがあるにはあるのだが、使命感というよりは一種のDNA宿命的な感覚で捉えている。

…そして今年、久しぶりに応募した「はなわハガキ漫画グランプリ」に入選させて頂いた。
“社会に何らかの形でデビューする”アプローチを標榜しようと考える私にとって大変ありがたい受賞だったと感謝している。

展示風景.jpg
 ▲福島県塙町にて展示の様子

まんが入選.jpg
 ▲入選作品集の冊子に掲載 

金一封も有り難かったが、賞金のことよりも選ばれたという事にこの先の希望を頂戴した気がして感謝している。

福島県塙町における一市町村でのささやかな入選デビューかも知れないが、還暦を過ぎてから久しぶりにアクションを起こし選ばれた私にとっては“意義深い一歩”のような気がしている。

 


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日々の背中:その14 [日々の背中]

何も逆らう必要はない

だからこうして描いている。

語り尽くしたつもりでも語り尽くせぬこともある。

だからこうして描いている。 

猫とスケッチ.jpg 

何も惑うことはない

だからこうして描いている。

私のはっきりしている事

それは「マイノリティの視点・ダイバーシティー/多様性価値観の視点」 を
自分のスタンスからずらさないこと。

“表現する意識”を見失わず“与えられた天分”を使い切ること。
つまり自分の運命を“生き切ることだと思っている。

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…自分の運命を生き切る…ってか。
ん~上手いこと言うなぁと自画自賛(笑) 

☆ 

絵本を作ったり、写真を撮ったり
日常を眺めながら制作をすることは
まさに「日々の背中」を眺めながら生きている実感だ。 

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日記をつける習慣が始まったのは中学一年生の時。
それから長い空白の期間もあったが、
そんな空白の時代も含めて50年近くの間 日記が綴られていた事になる。

私にとって興味深いのは、ところどころに描かれている落書きみたいな挿絵。
今の私自身よりもずっと純粋で真摯な視点を感じるものがある。

 


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日々の背中:その13 [日々の背中]

今日はとっても気分が乗っていて

何だか調子よく絵筆が進みそうだ。

…と思っていると、 

目の前の机にドッカリと寝そべる愛猫の登場。

ミカン仕事机_b.jpg

ん…

さて、どうしたものかと少し思案して

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今日は、もう絵を描くことはお仕舞いにした。


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日々の背中:その12 [日々の背中]

家族の者が脳梗塞で倒れて外科手術を受けた。
脳血管の詰まりをバイパス手術で補うという難しい手術で、病名は「もやもや病」と言うらしい。
なんだか冗談みたいな病名だが、国の特定疾患に指定されているようだ。

8時間ほどの長い手術で一応無事に終わり、三日間の集中治療室から個室に移されたがこれからの生活が難関である。
施術後の後遺症の半身麻痺は回避できたようだが、言語障害の起こる可能性はまだ残されている。 

これからどんな局面と向かい合うことになるかも知れないが、関わりあう家族の一員としてしっかり受け持ってゆこうと思っている。
決して悲観したり放棄することなく、直面してゆくことは私自身の人生のスタンスでもある。

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家族の一員として暮らしている長老猫「ミカン」がここ数日、病魔との闘いの日々だった。 

食事も立つことさえも出来ず、時には目を開けたままボーっとしていて魂が抜けたような状態だった。亡くなってしまったのかと恐る恐る瞳孔を確かめて、生きていることが判明して安心したものだ。

痛みや苦しみは無さそうだったが、トイレにも行けず体内に毒素が廻るのではないかと心配してついには病院に行くことになった。
注射を打ってから、ようやく食欲が少しばかり出てきて今は回復状態にある。
グッタリしていて力なく抱かれるが、体重は半分くらいに減ったような気がして一気に老衰した感じがしている。

この歳で病気に掛るとツライよなぁ、回復しても以前の様には戻らない。
自分自身の行く末を見ているようで「しっかりしろよ」と声を掛けたくなる。 

ミカン寝姿.jpg

たまたま命に関わるような重い病状で緊迫した日常が続いたために
なんとなく悲痛な感じに伝わるかも知れないが、実際にはそんな気分にはなっていない。
そんな事よりも、この局面をどうやって乗り越えてゆくか
どうやって勇気を奮い立たせてゆくか…自分自身が崩れ落ちないようにしてゆく事が大切な事で、
しっかり付き合ってゆこうと腹が決まれば、案外とハッピーな気分にもなれる…なんて言うととても不謹慎なんでしょうね。

そんなヤツなんです、私というヤツは。

☆ 

【嗚呼、人間というヤツは…】


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桜香る日々 [日々の背中]

視力が一段と衰えて

歩調もたどたどしく

筆をとる握力もめっきり弱くなった。

周りも私自身も少しずつ これまでとは違う流れに乗っている。 

心を惑わすような喧騒が聞こえることもあるが

私は確かな香りを嗅ぎながら

桜香る日々を愛でている。

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これまで花鳥風月などという言葉を知らなかった私が

今年は何故か 空や風の匂いを嗅ぎながら時の流れを確かめている。

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体も心も盛りを過ぎて

若気などというものに照れながらも

桜香る日々に恋している。

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[平成26年4月/伊勢市五十鈴川周辺]


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日々の背中:その11 [日々の背中]

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じっとこちらを見ている気配がする。

足跡も残さずに雪の上を跳ねている。 

☆ 

トリミングからすっかり外れてゆく君。

首を傾げながら何を探しているのだろう?

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申し訳ないが最近は贅沢な気持ちで暮らしている。そんな事でいいのかという声が聞こえてきそうだが、こんな事なのだから仕方がない。こんな風にして生きていられるという事はこれまで様々に悩み苦しみ自分なりに闘ってきた故なのだと思い至れば、嗚呼人生とは何と意味深きものなのだろうと感じ入る。

歳をとって身体的な機能や能力の衰えを自覚するようになったけれど逆に満足していることもいくつかある。その中のひとつが「矛盾というジレンマがなくなった」という事である。
これはそれなりに歳を経て様々なものを剥ぎ取らなければ分からなかった事なのかも知れない。矛盾のジレンマ・悪循環から解放されたことによって改めてこの世の明快さを眺めることが出来る。

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無人駅 [日々の背中]

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早朝に目覚めたら 雪が降っていた
 
何層もの澄んだ空気の向こう側に
 
じっと列車を待つ 無人駅が浮かんでいた
 
しんしんと雪を肩に受けながら
 
ことこと列車の足音を ひたすら待っていた

………
 
雪の中に 時間が埋まってゆく。 


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式年遷宮~20年という歳月 [日々の背中]

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生まれてから三回目の式年遷宮。20年に一度の神宮再生儀式のクライマックスが今年行なわれている。

お木曳とお白石持という二大行事があるが、十代から二十代に掛けて海外で暮らしていた一時期を除いては、過去の東京・名古屋で暮らした時期にも被らずに、伊勢神宮の神領民としてすべて参加していた事になる。

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六年前に新しい神殿を造るための御神木を運ぶ「お木曳き」という行事を行なった。今回は出来上がった新しい神殿の前に敷く白石を運ぶための行事である。

大きな樽に入った白石は総重量どれほどのものであろうか?「エンヤエンヤ」と声を掛けながら綱を曳き神域に運び納める。

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街中を練りながら一路神宮の境内に向かって進んでゆく。観光客の中には特別神領民の襷を掛けて参加している者もいる。 

交通も遮断して数万人の人出で溢れかえっている。この様な日々が数日間続くのだから、さすがに20年に一度の国家的儀式の様相は充分に呈している。

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境内に近づくと、エンヤ曳きが始まる。勢いをつけて一気に神社の中に曳き込む最終のみどころがこのエンヤ曳きである。これまでゆったりと練って来た曳き手たちが、惜しみなく最後の力を振り絞ってお白石を境内に運び込む。

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伊勢神宮・内宮の入り口に到着したお白石は、その後、参加した神領民ひとりひとりの手に配られて境内の新しく建造された神殿に並べ置かれる事になる。

20年に一度、神殿の中に入れる唯一の機会が、このお白石持行事である。

私は次回二十年後の遷宮の時にまだ生きているだろうか?生きていたとしても、もう綱を引いて参加するような事は出来ないかも知れない。

そう考えると、子供の頃から関わってきた遷宮という“神々の再生リサイクル運動”も今回が見納めと心得た方が良いのだろう。

これまでの20年。これからの20年。…20年という歳月をどのように受け止めようものか…。

 

 


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日々の背中:その10 [日々の背中]

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暮らしの底流に歴史も文化も息づいている。

自然に暮らしていれば、それが継承となり伝承となる。

驕らず騙らず真摯に求道を歩めば、それが命の果実となる。

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時は無情に過ぎてゆく。

日々の背中は無言のままで、風の音色が木霊する。

それはこの世の摂理、厳粛な定め。

逆らう事は出来ないが、人情の熱で溶解できる。

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 ▲ 写真/三重県松阪市本町界隈

 


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日々の背中:その9 [日々の背中]

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杜の奥から喧騒が流れる。
汗を流し 祭りに興じる人がいる。
熱い風が流れ 命も浮かれて躍動している。

激流の後に残った水泡は 余韻を楽しむかのように
ちいさな音を残して消えてゆく。

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日常という周辺に耳をすませてみると、確かに穏やかな息づかいが感じられる。

庭先の宇宙…目の前の万物が生きていることを実感する。

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静かな時間を知っているだろうか?
それはまるで死者との対話のような、はかない存在に痛みを感じる時間。

それは恐ろしく静かなくせに、愛情を持ってひたひたと迫り来る時間。
静かな時間を未だ知らないという者…それはこの世の迷い人。


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コメと日本人~網野善彦著書より [日々の背中]

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子供の頃に隣近所で過ごした幼なじみと偶然に出会い、数十年ぶりに色々と語らいあった。
同時代を共有している友とは話が尽きず、喫茶店で3時間ほども語り合っていた。
かなり深い話も出たりしたが、幼年期を共に過ごしたということが互いの理解や信頼にこれほど寄与するものであることが改めて分かった。

歳をとると、ある程度社会的に馴らされて、いつの間にか根源的な疑惑やタブーを口に出さなくなる。幼なじみとの会話にはそれが少なくて、童心に戻ったように我がまま気ままな無邪気な話があふれ出てきた。
イジメや差別や体罰の問題が、白日の下に晒されて自分たちの体感・実感したリアルな日常の話しとして語られ、例え考えや意見は異なっていても、こういったレベルで語り合えるからこそ互いに信頼というものが生まれるのだと実感した。

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私は物事を考えるとき、時代の流れや歴史的観点を土台に置いて判断する場合が多いのだが、歴史学者の網野善彦さんの歴史観とそのスタンスを信奉していて、彼の歴史を見る視点は斬新でその書物は誠実さに満ちた受け入れやすい内容だと思っている。

【コメと日本人~網野善彦・著書より】

◆いにしえの日本人には海民や山民など、稲作にこだわらない人々も数多く存在した。  

◆実際に田地を耕作している人が、主食としてコメを食べられるようになったのは、農地解放以後と言われる。

◆明治政府の琉球併合まで沖縄は日本ではなかった。沖縄が稲作社会であったかどうかには問題がある。

◆北海道のアイヌ社会は稲作とはまったく違う社会であった。

◆「うどん正月」という言葉があるくらいで、正月はムギから作ったうどんを食べる。お盆には畑からとれたソバ。とくに山梨はその傾向が強い。

◆一般に関東から東北にかけては正月にお餅を強調しない。餅はもともと西日本の稲作地帯から出来たモノらしい。

◆お餅を食べるのは都市の民俗で、全国で当たり前になったのは昭和十年頃から。

◆お餅すなわち『白米』に対して高い評価を置くのは、十八世紀以後の都会から始まって、明治にその地域が広がり、戦後に定着したと考えられる。そしてみんながコメを食べられるようになったのは、配給制度を定めた食管法の成立後であろう。

◆百姓と農民はまったく違ったものである。しかし、『農は国の基なり』という一種の道徳的な考え方が出てきた時点で、百姓即農民というイデオロギーができあがった。

◆百姓は、字のとおり“百の姓”で、一般の人民という意味である。

◆農業民にせよ非農業民にせよ、百姓は『天下の百姓』という意識を持っていた。誰にも私的に隷属しない『公の民』だという意味である。

◆古代からコメは『貨幣』にもなるし『金融の資本』にもなるという性格を持っている。

◆古代国家は初穂のコメを租としてとって、それを種籾(たねもみ)として貸し出して(り)(とう)をとる出挙(すいこ)という一種の金融を租税制度にとりこんでいる。

◆正税、出挙による利稲を運用して、交易し、いろんな物品を調達していた。

 

歴史を検証するとき、どうしても自分の生きている時代の視点で見てしまう。これはどうしようもない不可避な事実なのだが、そういった視点で捉えているのだとしっかりと認識しておいた方がいい。そしてたくさんの誤解が含まれていることをわきまえた上で理解した方が良いように思う。
そういった理由で、私は網野氏の歴史に対する視点の取り方を支持しているわけなのだ。

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▲写真は国学者・本居宣長の旧宅(本居宣長記念館)

 

<2013年3月6日・記>

 


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行楽気分の一日 [日々の背中]

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川面に浮かぶライトアップされた紅葉の姿。スローシャッターはブレブレになるので夜景を撮るのは難しいですが、雰囲気だけでも伝われば良いと思って、下手な見苦しい写真ですがアップしました。

娘夫婦に孫を加えてつれあいと共に連れて来てもらった場所は三重県桑名市にある『なばなの里』。かつては子ども達を乗せて遊園地やら博覧会やらに出掛けていたものだったが、その私がハンドルを預けて娘に連れて来てもらうようになったとは…。

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後部座席に乗って娘婿の運転で走るハイウェイは、生まれて初めての経験だった。実になんとも不思議な感覚…。これまでは家族旅行でも何でも自分が主となって計画・実行して仕切ってきたのだけれど、今回のように一切おまかせで注文もつけず乗っかって行こうという気持ちの変化に自分でも驚いた。

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もうそろそろ「傍観者」として生きるスタイルを身につけてゆく時期なのだろうか。オレ流・自己流で生きてきた私には他人流に身をまかすことも必要だろう。見えない先行きを恐れずに、時の流れに身を任す。自分のオーダーにこだわらずに、出てきたメニューをおいしく頂く…そんな心持ちになってみることも一興と知るべし。

☆ 

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[桜光のトンネル]

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[光の雲海]

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日々の背中:その8 [日々の背中]

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▲アルミ缶

アルミ缶には懐かしい香りが漂っている。
幼い頃に、夜店の露天商や場末の駄菓子屋に並べられた車やロボットは
どれもがアルミの香り漂うゼンマイ仕掛けの玩具だった。

…オモチャが決して媚を売らず、それなりの存在を主張していた時代。

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▲路地の終わりには視界が開けていた

絵を描く動機というものは様々である。そして、その動機がその絵の中に様々な思いを反映させる。ある意味で“絵を描く行為”は『自問自答』なのかも知れない。

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▲神宮徴古館の佇まい

生まれた時から神様のそばにいた。だから当たり前のように神様とは対話をしてきた。子供の頃には神社の境内で探検や冒険ごっこをしてきた。神様の社に忍び込んで、三種の神器・八咫鏡(やたのかがみ)を一目見てやろうとしたこともあった。
神様との付き合いというものは、そういったところから始まるものなんです。

【007/スカイフォール】


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死を食べる-アニマルアイズ