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/還暦百態物語/九:黄昏の邂逅 [押入倉庫B]

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◆第九話「黄昏の邂逅」

 夕暮れのモスクワに立っている。
 あれから五十年、私はかつての放浪の旅をなぞるように日本を飛び出して来た。もう二度と来ることはないと思っていたが、還暦を過ぎて数年も経った頃ふと思い出したひとりの少女がいて気がついたら旅支度をしていた。それは私が初めてのヨーロッパに胸躍らせて足を踏み入れた頃の事だ。当時、共産主義国家の盟主として誇っていたソビエト連邦は鉄のカーテンと呼ばれて外国人に対して情報開示どころか秘密の多い国だった。そんな中で、若くて恐いもの知らずで好奇心旺盛だった私は同じ旅をするにしてもお仕着せのパックツアーでは飽き足らず、ひとりコースから外れて禁断の路地裏を散策するのが好きだった。
 ところがある時、地元民が集まるという人形劇場に地図を片手に向かっていたのだが迷子になってしまった。ソビエトの人形劇はチェコと並びレベルの高いものでどうしても観たくて郊外に足を運んだのだが、それが間違いの元だった。昼下がりの陽光は少しずつ鈍くなり始め私の気持ちも沈み始めて来た。
 その時、
途方に暮れていた私に後ろから声を掛けてくれた少女がいた。金髪でクリッとした瞳が印象的な制服らしいものを着ている女学生だった。身振り手振りで説明をすると、どうやら近くまで行くらしく私をリードして連れて行ってくれる様だ。片言の英語が話せるらしいが当時のソ連ではスパイと間違われそうであまり良くないらしい。彼女はたどたどしい英語の混じった会話を交わしながら、時には道を行く兵士や物売りのおばさんにも尋ねながら何とか私を人形劇場へと導いてくれたのだった。

 ロシア特有の郷愁と物哀しさ溢れた人形劇を堪能した後、劇場の向いの軽食堂に夕食を取ろうと入った。席についてふと窓越しに街路樹を見ると、そっと木陰からこちらを覗く少女と目が合った。案内してくれた彼女と別れて人形劇を見た後、小一時間程過ぎていたがそれまでずっと私が劇場から出てくるのをを待っていたのだろうか?寒空の下で待たせ続けていた様な何とも言えないばつの悪い気持ちになった。どうしたのか、理由を聞きたくても言葉が満足に通じない。「ヤア!」と手を挙げて愛想を振りまくのが関の山だった。
 無言で帰り道を歩く私の後から黙々とついてくる彼女は、まるで帰り道のない迷子の子犬の様だった。そして小さな狭い路地に入った時、突然彼女は私の背中を抱きしめた。抱きしめるというよりすがりつく感じだった。このまま何処かに連れて行って欲しい、そう言いたげな表情で私を見つめるのだった。
 '七〇年代のロシアはまだ西側の私たちには得体の知れなさが漂っていて、日本を発つ時も色々と警戒するように言われたものだった。実際に後に闇ブローカーや外貨獲得の闇両替商には何度となく出くわした。女性にはストッキング一枚のプレゼントでひと晩一緒に過ごしてくれるといった本当か嘘か分からない様な話が流れていた。そんなミステリアスな世界で迷子の子犬の様に怯えながら何かを待つ瞳が印象的だった。
「カーク パジャールスタ?」会話の本で見た片言のロシア語で “どうしたの?”と尋ねるとどうやら安心したのか身振り手振りで自分の事を語っている様子だった。どうやら家に帰るのが嫌らしい。ロシア語の分からない私の勝手な想像だが、今で言うDVで虐げられた生活をしているような気がした。ここが外国でなかったら、それともこれから帰国するところだったら少女の手を引いたいたかも知れない。彼女の懇願する愛くるしい瞳が切なく心に焼きついた。

 それから3年間ヨーロッパを放浪する内に私はすっかり少女の事を忘れていたのだが、帰国して五十年も経ったいま突如として彼女の瞳を思い出した。そして思った「今、どうしているのだろう?」
 当時アルバイトをしていたフィンランドで出会った女性と五十年ぶりにフェイスブックで繋がって交流を続けている経験があったので、ソ連の崩壊と新生ロシアを経てきた彼女を見つけ出してあの時の心に残った苦酸っぱさを甘い思い出に変えたいと考えたのだった。
 赤の広場の佇まいは今も変わらず広がっている。聖ワシーリー教会、レーニン廟もそのままで百貨店グムは内部が現代的にリニューアルされていたが健在だった。以前と違って自由な国になったロシアの空気の中で、もう還暦を迎えたであろう彼女の消息を尋ねるために私はクレムリンの傍にある役所に邂逅の足を運んだ。

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