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「ゼロの告白」第一章/第一話 [押入倉庫A]

【男の独白】


 その男は若い頃から「どんな環境でも生きてゆける自分になりたい」と思っていた。
だから、時として自分らしくない自分を装って、自分にふさわしくない場所に飛び込んだりもした。
 常に様々な問題と直面したけれど、守りの姿勢を持たない私は緊張感こそあれ、それ程の恐怖心も感じていなかったように思う。
 青年時代に海外で放浪の旅をしたせいか、見知らぬ新しい土地に飛び込むことには慣れっこになっていた。見知らぬ土地に、馴染みのない人たち…そんな出会いと別れの連続の日々を過ごしていたのは、青春の多感な時期だった。
 その何にもしがみ付かず、何も残さない生き方は男にとっては“自分の本質と最もかけ離れた生き方”であった。
 


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 その男の幼児期は、後にして思えば、魂の流浪を学ぶ時間であったようだ。
朝早くから晩まで両親が行商に出て不在の毎日であったために、3歳の頃から他所の家庭に半日預けられて暮らす日常であった。
 預けられた家庭も一箇所ではなく、幼稚園に通うまでの3年間に4つの家庭環境を転々とした。ある家庭でそこの子供にいじめられた事もあれば、粗食をあてがわれ続けて栄養失調になり掛けた事もあった。常に新しい環境と新しい人間関係の中で“やり直しの繰り返し”を続けてきたのだった。

 そんな彼にとって、一日の終わりに迎えの母親と一緒に帰る我が家は天国であった。貧相な借家の建物で、粗末な蛍光灯一本以外に室内には裸電球がぶら下がっているだけだった。入り口のガラス戸を開けると小さな土間の片隅が狭い炊事場になっていて、水道も引かれずガス焜炉が一台ポツンと置かれているだけだったが、天井からぶら下がるソケットに繋がった電球が、大人になった今でも暖かな団欒の風景として焼きついていた。

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 我が家では王様だった男は、この安息をいつまでも所有したいと願うのが当然の事のように思えたが、何故か生活の一切を捨てて家から離れる事を願望として抱いていたらしい。
 人一倍所有欲の強い男だったが、一人息子として大事に育てられた彼にとっては、所有は約束されたものであり誰からも脅かされるものではないと安心し切っていた様子で、心の奥底には執着心と所有欲を抱きながらも表面的には抜けたような大らかな雰囲気を漂わせていて、ガツガツとした物欲しそうなところは感じられない子供だった。

 


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