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小説「ゼロの告白」/第三章 [小説「ゼロの告白」]

【ゼロの告白/第三章】


 昭和五十二年十二月。寝袋と現金5万円だけ持って夜行バスに飛び乗り、東京駅丸の内に着いたのは翌日の早朝だった。
 駅出口の階段を下りて地下の『東京温泉』でひと風呂浴びるとそれまでの緊張感が和らぎまるで気ままな旅に出たような錯覚に襲われた。根っから呑気者の自分自身に少しばかり呆れた気もしたが、すぐに気を取り直して冬の寒空に顔を向けた。
 都会の電車は既に早くから人々を運んでいる。ふらりと飛び乗った環状線は気がつけば渋谷ハチ公像の前に来ていた。


 通勤時間にはまだ早い当時の早朝ハチ公像前にはその日の仕事を求める人たちが集まる場所でもあった。俗称『ニコヨン』と呼ばれる日雇い労働者を何処からともなくやって来たトラックが乗せてはそのまま工事現場に直行するという、労働基準法を完全に無視した無法の労働市場がそこにはあった。


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 もう少し時間が経てば大都会の通勤ラッシュにこの界隈も雑踏の嵐と化す。男はハチ公像前に腰を下ろしてこれからの行く先をぼんやりと想ってみた。何か計画を持って出て来たわけではない。まさに行き当たりべったり風が吹くままの股旅だ。


 初めての街に足を踏み入れたら、まずは駅の構内で体を休ませながら街の空気に馴染ませるのがパセンジャーとしての異邦人のセオリーである。
 知り合いもなく顔見知りもいない誰から相手にされることもない空気の様な存在の自分が、何かの種を蒔いて育ててゆくにはまず地慣らしから始める事が妥当な方法だろう。子どもの頃から様々な場所で転々と預けられてきた習性から少しずつ環境に馴染む生き方を最良の術として身につけてきたようだった。


 幼児期は何に対しても臆病で内向きがちだったこの男が、小学校上級になる頃には多くの級友から慕われて学年のリーダー格になっていようとは周りの誰もが思いもしない事だったが、その変化には原因があった。


 漫画の中に登場するヒーローたちに目覚めた事が始まりだった。子供心にも憧れと願望というものがある。日々の現実が息苦しければ益々その思いは強まるだろう。男は幼少の時代にその窮屈さから脱却する空想世界のヒーローの生き方に自分を重ね合わせる道を見つけたのだった。


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 そんな訳もあって少年は毎日のように近くの貸本屋に通った。まだ幼かった彼には刺激的とも思える青年漫画の数々が並んでいたが、早熟だった彼は貪るように漫画を読んだ。


 大人たちは子どもが漫画を読むことを娯楽の一種のように解釈していたがこの少年に限ってそれは違っていた。成人してからも少年には娯楽として物事を捉える感覚が芽生えなかった様に、すでにこの時期から全ての楽しみは何らかの実利を見つけてこそ意味のあるものだった。
 “たかが漫画、されど漫画”少年の時代には教育的観点から悪書として位置付けられるような社会的地位の漫画ではあったが、彼は自己を投影するメディアとしての潜在的な可能性を発見していた。現実的日々での満たされない欲求不満や裏切られる思いを漫画の世界に於いて解消する術を身に付け始めていた。


 初めての都会生活とも言えるものが、宿無しの浮浪者然とした生活スタイルである事は改めてこの男の宿命的な将来を暗示させるものだった。
 職も無く所持金も乏しい当分の生活はとにかく出費を抑えた暮らしをするしかない。昼間は新聞の求人欄や「アルバイトニュース」などで仕事を探し、夜になれば代々木公園で野宿をする生活が日課となっていたが、若さのせいか少しの不安も感じていなかった。それどころか「どんな環境でも生き抜ける人生」の実践の入り口に今まさに立った気分で高揚している。
 この頃の男にとって『ゼロ』であることは未来への期待と同時に、恐れを知らぬ一種の誇りでもあった。


<続く>


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<この物語は「一人の男が自己に内在するマイノリティと対峙しながら成長してゆく」といった自伝的フィクションですが、無計画に執筆を始めたもので進行具合も遅く、今後の展開はあくまで未定です。あらかじめご承知おき下さい>


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