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小説「ゼロの告白」/第二章 [小説「ゼロの告白」]

【ゼロの告白/第二章】

振り返って考えてみれば、目に見えて蓄えられたものが何も無い男になっていた。
次から次へと流れるように生きてきた。その時その時を真剣には生きて来たが、何も残してこなかった。
“次につなげてゆく、蓄積してゆく”という計画的な生き方をして来なかった自分に気がついた。
「人生は一度きり、チベットの砂絵のようなもの」とうそぶいていた男だったが、時には通俗的な気分で見得を切りたくなる事も事実で、何も形のあるものでは証明の出来ない事を知ったときに軽い疑問が頭を過ぎる事がある。

「私が確信しようとしているものは一体何なんだろう?」
その男は自分の人生を自分の手でしっかり掴んでいるという自覚がある。子供の頃に恐れていた事々がひとつずつ解消され、堂々と生きる感覚に支えられている。もしもここで人生が終わるのであれば、それはそれで良いとも思える心境である。しかし、まだまだこれから物語りが続くとなると、今後の展開と身の振り方を考えて行かなければならない。目に見える実績らしきものも、社会的地位らしきものも何も持ち合わせていない自分自身に対して、本当に私は泰然自若としていられるのだろうか?
そしてこれから先も、このままで何も築き上げる事無く、自分なりの答えを抱きながら淡々と生き続けてゆけるというのだろうか?

風塵.jpg

もがきながらも辿り着いた終の棲家は悩みも消え失せた楽園のように思えたが、暫らくするとそこにも居続けられない自分の業の様なものが目醒めてくるのだった。
「何も求めない」という気持ちだけでは生きられないものなのか?放浪の果てには待つものも無く、郷から遠く離れ続ける定めでしかないのだろうか?

☆☆☆

 

 

様々なものを克服してきたつもりだった。
時には敢えて自身に傷をつけて免疫力を高めるような行動も取った。傍から見れば自虐的なマゾヒストに見えたかも知れないが、本人には全くそんな趣味は無かった。
敢えて逆境に飛び込むことが自己を磨く道であると思っていたに違いない。『艱難汝を玉にする』という何処かで聞いた言葉を金科玉条のように抱き続けていた。

しかしそれらは全て若気の至りであったと、今になって痛感するようになった。
自分自身を傷つけて良い結果を生むという様なことは無い。
敢えて主流の正道を選ばず、社会の底辺とか蔑まされている世界とかに好奇心で体を預けるような生き方は、実はコンプレックスの裏返しでもあったと後々発見する事になる。

背負う人.jpg 

だが時代はまだ昭和の50年代で、恐れを知らぬ無知無謀な若輩者は単身寝袋を肩に下げて花の都・東京に向かったのだった。
それは男にとっては武者修行の様なものだったが、実際には一般社会の枠組みから離脱させてその後の人生を決定づける岐路でもあった。

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<この物語は「一人の男が自己に内在するマイノリティと対峙しながら成長してゆく」といった自伝的フィクションですが、無計画に執筆を始めたもので進行具合も遅く、今後の展開はあくまで未定です。あらかじめご承知おき下さい>

☆ 

<平成28年12月・記> 


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