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-01- 鉄のカーテンの国 [青年は荒野をめざした]

 

 当時の旧ソ連は「鉄のカーテン」の異名を持つ、全く秘密だらけの国だった。
「ジェームズ・ボンド」や「ナポレオン・ソロ」が活躍する舞台や相手は、決まってロシアのKGBという設定で、そんなイメージがあるためか何となく緊張した雰囲気があった。
 実際に日本を出る前には、旅行代理店の係員に「くれぐれも注意するように」と念をおされていた。
どうやら外人旅行者と見ると近付いて来て、やたらと物々交換を迫る「ヤミ屋」が多いらしい。
そして万一、交渉に応じているところが見つかると当人はブタ箱入りで、私たち外人旅行者も取り調べを受けるはめになり、下手すると国内通行禁止の罰則を受けてそのまま帰国という目にも合いかねない。
こんな話を事前にされるものだから、一緒に行った日本人の殆どはかなりビビっていた。
 私は中学生のころから、サイクリングでよその土地へ行ってみたり、ちょっとした冒険が好きだったので海外に行っても人の行かない所へ一人で行こうと決めていたのだが、さすがにソビエトだけは自由勝手が効かなくて団体行動をとるしかないと半分あきらめていた。

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↑ 念願の「赤の広場」に立つ

 

 しかし、ソビエトに入国して4日目くらいになると何となく慣れて来て、場所がモスクワの大都市という事もあって、やはり自由にフラつきたい衝動に駆られて来た。

 前々からある程度うるさい国だという事は知っていたが、実は出発する以前から「モスクワでは団体から離れて旅行者は行かないような、コースから外れた生活感のある所を体験してやろう」と思っていたのだ。
モスクワにはアジア系の顔をした混血も多勢いるので、衣服以外は日本人でもそんなに目立たない。私は一人でホテルを出ると地図を片手にやたらと広い街中に出た。
核戦争になればシェルターとして使えるとさえ言われる、実に巨大なドーム型の地下鉄駅に入る。雑踏と轟音で何だかロシア人の大移動の現場に居るような物々しさだ。
 片言のロシア語でようやくお目当ての映画館に到着したのは1時間以上過ぎてからだった。勿論周りには日本人は一人も居ない。訳の分からないまま取りあえずチケットを買ったが上映時間はまだらしく、その間どこでどうしていて良いのやらわからないので近くの大学生らしき女性に聞いてみた。上映されている映画の主人公はどうやらこの国のアイドルスターらしく、チケット売り場は若い女性でいっぱいだった。何人かの女性は英語が通じないので困っていたら、すごく可愛い女の子が近寄って来て手助けしてくれた。
彼女も外国人の私と英語で会話出来る事が誇らしいのか、周りの友達にからかわれながらも満足げだった。
 「これがソ連でなかったら、お茶でも誘えたのになあ…」とちょっと残念だった。

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↑ 場末の映画館(上)/ゴーリキー公園(下)

 

 その男が現れたのは、映画を見終わって夕暮れの街に出た時だった。
やせ形の神経質そうな感じの男が周囲を気にする素振りで近づいて来た。
その物腰から一見して「例のヤミ屋だな」と分かったが、好奇心だらけの私は敢えて避けようとはしなかった。
 「どんな展開になるのだろう?付き合ってみるとするか…」
 なんだか急にスリルのある状況になって来て、本当は少しワクワクもしていた。
耳打ちする感じで男は話し掛けてきたが、どうやら私の持っていた折り畳み傘が欲しいらしい。
ロシア女性がストッキングを宝石のごとく貴重品扱いする事は有名だったが、他にもラジオや時計、そして折り畳み傘も仲々手に入らなくて価値があり、市場に出せば十数倍の値打になるらしかった。
 男は「十ルーブルで売ってくれ」と言ってきた。当時の換算で約7千円だったと思う。日本で千円で買って来た傘が7倍の値打だ。
「よし、売った!」 と言おうとした瞬間、男の背後に嫌な感じの視線を感じた。“ヤバイ!”一瞬私はそう感じて 「ニェット」(売りません)と返事を返したのだった。
男は「どうしてだ?」といった感じで食い下がろうとしたが、ふと後ろを振り返ると何かを発見したような表情で急に商談を止めて立ち去ってしまった。
 もしかすると、あれが市民生活を監視しているという共産党員の一人だったのかも知れない。あの時うっかり交渉に応じていたらどうなっていたのだろう?私は後にアフリカである事情から一晩だけ刑務所生活を体験する事になるのだが、もしもこのソビエトで警察の厄介になっていれば、それ以上に大変な事態になっていたに違いない。


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