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箸の作法 [随想随筆]

私は箸の使い方が下手である。

子どもの頃の一時期、とある民家に預けられてしっかり躾をされた覚えがあるのだが(当時、託児所代わりに有料で子どもを預かってくれる家があった) 両親が共稼ぎの行商に出ていて家庭では躾らしいものをされなかったので生活の知識・習慣を独学によって得ることが多く、箸の使い方も独特の持ち方を改めることなく成人してしまった。

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極端な見方かも知れないが、ナイフとフォークで食べる西洋の食事は機能的で便利なシステム・マシンのイメージがあるが、東洋の箸を使う食事の作法は指先に繊細な神経を集中させて脳に働きかける動作であることを発見した。
(映画「新しき土」を観て、劇中の一場面にそのような説明を思わせる場面があった)


作法というものはそこに学習を通して培われる精神性が存在するものである。特に東洋の行儀作法は単なる美しさやコモンセンス(社会性)とは別に道徳や精神性…大袈裟に言えば禅の思想に近いものが存在したりもする。


 

日本の文化で育った者はその文化の物差しで生きることが一番〝ブレる事なく生きれる”のだろう。

ブレるという事が決して悪い事だとは思わないが、アイデンティティの安定と一貫性という視点から見れば問題である。
いわゆる「西洋かぶれ」と揶揄されるのも、そのアイデンティティの存在に関わるからだと思われる。
(だからと言って、西洋や諸外国の文化を見境なく否定するエセ国粋主義者の考えは受け入れられませんが…)

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箸の作法は私たち日本人にとっても、様々な学びを得られる文化的遺産のように思われる。
そして…現代の子どもたちは箸を習得する機会をどんどん失う生活習慣に暮らしているようだ。
(箸使いの下手くそな私が言うのもおこがましいけれど…^^ゞ)

 


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