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闘うという概念 [21世紀の種]

21世紀も早20年が過ぎた。今世紀中に『日本国憲法』は改正されるだろうか?日本国憲法・改正論議の焦点はやはり戦争に関する捉え方になるだろうが、日本人にとっての戦争の概念は実に多様であり論じるにしても論点が定まらない。どこの国もよく似たものかも知れないが、戦争ひとつ取ってみてもまとまった考えに落ち着かないところをみるとこの国も彷徨いながら進んでゆくしかないのだろう。

人々は「戦争」についてあれこれ意見を言ったり語ったりするけれど、その以前に人間の持つ闘争精神について論じる事は少ないように思う。
「戦争」などという言い方はかなり大雑把で曖昧な言い方だ。歴史的時代や世界情勢、そしてそれぞれのお国事情によって意味合いは全く違ってくる。一様に是非を問うというのもおかしな話で、それこそ宗教論議と同じでどちらが正統かという争いの種を増やすだけである。
語るべきは人間に本来備わっている“闘争精神”についてであろう。これはいいとか悪いとか、無くすとか無くさないとかいう事ではなくて、どう活かすかという事が話の本筋なのである。闘争精神は人間が生まれついた時から、いやそれ以前から存在する本質的原理だからである。そもそもこの世に存在する生きものは、命の始まりの闘争を経て生まれ出でたとも言えるのだから。

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生きることは闘うことである。私はそう思っている。そして闘うという事は“今を捨てない”という事である。今この時を軽んじて捨て去ったり諦めたりしたときに、ひとつのものが死滅する。人は生き続けようとする限り闘い続けなければならない。それが必然で宿命なのだと思う。命を存えるという事は闘うという事なのだ。
時代と共に暮らしの状況も変わって生きる条件も変わったが、最も変わったのは闘うという意味が希薄になった事だろう。自力で闘いながら生き抜くという本来の動物としての宿命から目をそらせて、何かに従属する生き方にシフトする現代社会の罠だろうか。

闘うという概念を今一度確認したい。人が人として自立する為に闘う気持ちが必要なのだと考える。迷信から解放され、恐れの呪縛を克服する意味でも闘う気持ちが必要になる。
体内に無数に存在する様々な病原体、例えばガン細胞の様なものにしても犯されないための抵抗力が必要になって来る。と同時にそういった不可避なものを背負いながらも負けずに生きる気持ちが必要になって来る。人は実際は情けないくらい弱いものなのだ。それを背負ったうえで覚悟して生き抜くには“闘う気持ち”が有るか無いかだと思う。

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「闘うという概念」を様々な面から検証してゆきたいと考えています。人間にとって闘うという事は如何に原則的な事か…そんな観点でいずれまた記してみたいと思っています。

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