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ライク・ア・ローリング・ストーン~激動の'68~'71年 [青年は荒野をめざした/番外編]

私が海外に出て、知人も友人もなくたった一人で枯れ葉の様に漂う旅をしていたのは、その時代の空気のせいだったのだろう。
思えば '60年代は学生だった私にとって、政治や社会問題を突き付けられて逃げ場のない時代だった。そして文化面ではいわゆる前衛芸術がパワーを持って社会にテーゼを投げ掛ける時代でもあった。そんな時代の嵐が過ぎ去ろうとしていた頃 '70年代初めに日本を飛び出して何かを求めて海外に向かってから、もう半世紀が経とうとしている。

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ビートルズがいた、ボブ・デュランがいた。ベルリンの壁は幾多の悲劇を生み、ソルボンヌ大学で始まった学生運動は瞬く間に世界中に拡がった。ポップアートやサイケディリックアートが席捲し、プロテスタント・ソングやプロテスタント・アートで世の中に抵抗し物申す事が若者の特権でもあった。今はそんな空気もそんな若者もお目にかかる事は少なくなった。どこかには居るのだろうがマイナーな存在として埋没しているのだろう。

こんなに激しく動く時代の中で揉まれながら青春を過ごした私たちには、今の時代がもうひとつ掴み切れず納得しがたいものがある。かつては世の中に対しての距離感というか、理想と現実がぶつかり合い混沌とした中での“今を生きる気持ち”の切実さがストレートに感じられた。今時こんな事を言っていても始まらないだろうが、何かの拍子に口をついて出てきてしまう事がある。同世代を生きてきた者すべてが同じだとは言えないが、あの時代の中で何かに歯向かってがむしゃらに叫んできた暁に、時代の変化に付き合えず調子はずれの不器用な生き方を続けるしかなかった者どもが…この社会の片隅にまだ棲息しているという事を信じていたいからなのだろう。

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思えばあの時代に海外に飛び出した若者たちは、どこかアナーキーな雰囲気を携えていた。当時の海外で無銭旅行、ヒッチハイクと云えば月並みな社会からドロップアウトした若者のひとつのスタイルでもあり、時代劇で云うところの“旅から旅への股旅暮らし”というヤツだ。ヤクザな気質たっぷりで野放図な輩も多かったような気がする。後に流行った「傷だらけの天使」でショーケンが演じていたキャラクターを彷彿とさせる、そんな今の時代には見られない若者像が巷に溢れていた。

歴史が連続性で成り立っているのなら、今の時代も激動の過去の積み重ねなのだろう。そう考えてこの世の中を眺めてみると少しばかり罪悪感めいた心苦しい気分になる。
あんなに怒涛の時代を生きて来た筈の、歪んだ社会に抵抗をして生きて来た筈の私たちの多くが世の中に迎合してゆく姿には恥ずかしいものがある。そしてそれ以上に恥ずかしいのは世の中の抱える問題に対して無関心だった者たちが、いい大人になってからそれなりの肩書を背負って立派に社会問題を評論している事だろう。世の中はいつの時代も“既成概念という古ぼけた偽り”に騙されながらそれと葛藤している。
激動の時代に闘って来た情熱も“一期一会 夢幻の如くなり”

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