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富を得るということ [私の養生訓]

私が日々考えるテーマのひとつに「お金と無縁でも生きてゆけるか」というのがある。
富を得ることはそれほど必要なことなのか…。お金が無くては生きてゆくことが難しいのか…。
お金に縛られるということは、社会に縛られるということで、それは何者かの手の内にはまり込むという事でもある。お金から解放されることは作り物の世の中から飛び出して自由に生きることだ。

社会の自由はお金があれば得られる。しかし心と体の真の自由はまったく別次元のものだという事を釈迦の言葉などから察することが出来る。
生きてゆくことに本当に必要なものは既に手に入っているという事を感じ取れなければ苦しみを背負う事になり、幻影を追い求めてしまうから苦しみの虜になってしまう。人間は生まれつき苦しみを背負う様に出来ているのだろう。

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他人と歩調を合わせずに生きてゆく・・・この事のどこが悪いのだろうか?
別に悪くも何ともない筈だ。団体行動をするためには「私」よりも「公」を優先しなければならないのだろうが…。そして公の社会で生きてゆくには富を持たなければならないというのが常識なのだろう。
世の中は、持つ者と持たざる者とのせめぎあいで成り立っているようだ。そしてそれが差別を生み出し、憎しみや争いを生み出している。そもそも人間は罪をもって生まれ、罪の中に暮らして、罪とは切っても切れない縁の繋がりなのだろう。

「富を追い求めずに生きる方法を探る」「お金と縁を切って生きる」たぶん到達することはないだろうけれど、これは私の夢想でありユートピアなのだ。


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