邪気を祓うということ [私の養生訓]
良い事も悪い事もすべては自分の置かれた環境から生まれ出ることが多いと考える。何故かと云えば、そこで培った「ものの見方や捉え方」が一種の固定観念となって自分の人生の形成に大きく係わってくるからだ。
自分の中にある様々な要素が運命を決定付けるとしたら、それこそ逃れることの出来ない宿命の要素ともいえるだろう。しかしその要素が観念によって創られるものであるとすれば、宿命にも変化が付けられるのではないだろうか。(※ 変えられないからこそ “宿命”と呼ぶのだが…)
自分の中にある様々な要素が運命を決定付けるとしたら、それこそ逃れることの出来ない宿命の要素ともいえるだろう。しかしその要素が観念によって創られるものであるとすれば、宿命にも変化が付けられるのではないだろうか。(※ 変えられないからこそ “宿命”と呼ぶのだが…)
物事の捉え方を変えれば生まれる結果も変わり、その後の流れも変わってゆく。自分に降りかかる災いの数々も、要するに自分の在り方が起因していると云えるだろう。これは自分に責任があるという意味ではないので勘違いしてはいけない。自分自身の考え方は何も自分に責任がある訳では無く、仮に自分が歪んだ考え方をしているとしてもそれは自分に責任がある訳ではない。自分に降りかかる災難は何も自分が悪い訳ではないからだ。
肝心なことは、悪い流れを変えて自分自身を尋常な状態に置くという事であり、そのための在り方なのである。
肝心なことは、悪い流れを変えて自分自身を尋常な状態に置くという事であり、そのための在り方なのである。
悪い息を吐いて良い息を吸う「呼吸法」を身に付けることが肝要である。
全てのものには正ノ気の面と邪ノ気の面がある。その正ノ気を取り入れる様に心掛けることが自身を邪気から遠ざける方策である。人生が全て上手くゆくとは限らないが、他力的な災難をなるべく避けるという意味から、自力で邪気を祓うことは有意義だ。
全てのものには正ノ気の面と邪ノ気の面がある。その正ノ気を取り入れる様に心掛けることが自身を邪気から遠ざける方策である。人生が全て上手くゆくとは限らないが、他力的な災難をなるべく避けるという意味から、自力で邪気を祓うことは有意義だ。
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