戦争の時代の美辞麗句 [21世紀の種]
戦争の時代に生まれて来なくて良かった。つくづくそう感じている。
私が生まれたのは戦争が終わってその傷跡が殆ど消えた時代だったが、まだ生活の中に多少の名残りはあった。それでも立ち直りの気配を見せていた庶民の生活は未来に向けての夢と希望を抱いていた。そして戦争を反省する声はあっても、それを美しいものとして語る姿勢は少なかった様に思う。
過去を風化させず伝説として伝えてゆくために美しい物語に描いてゆくことが多いものだ。しかしそこには単なる美化に収まらず何かを伝えようとする意図が働いていることがある。
大東亜戦争の末期での沖縄戦を映画や映像などで見ていて戦争の恐ろしさを感じる。ひめゆり部隊や学生たち県民の一人一人まで戦力に駆り出された現実は、戦争を利用する権力の横暴さそのものでありそれに翻弄される人間の脆さを痛感する。
私が生まれたのは戦争が終わってその傷跡が殆ど消えた時代だったが、まだ生活の中に多少の名残りはあった。それでも立ち直りの気配を見せていた庶民の生活は未来に向けての夢と希望を抱いていた。そして戦争を反省する声はあっても、それを美しいものとして語る姿勢は少なかった様に思う。
過去を風化させず伝説として伝えてゆくために美しい物語に描いてゆくことが多いものだ。しかしそこには単なる美化に収まらず何かを伝えようとする意図が働いていることがある。
大東亜戦争の末期での沖縄戦を映画や映像などで見ていて戦争の恐ろしさを感じる。ひめゆり部隊や学生たち県民の一人一人まで戦力に駆り出された現実は、戦争を利用する権力の横暴さそのものでありそれに翻弄される人間の脆さを痛感する。
人は美辞麗句に弱いものだ。美しい言葉や勇ましい言葉に弱く考えることなく追従してしまう。陥れようなどと目論んで、誰も美しい言葉で粉飾している訳ではない。しかし一般化された耳ざわりの良い言葉が人をたぶらかすことになる。
戦争の時代に流される美辞麗句は怪しいと疑った方が馬鹿を見ずに済むだろう。知らない間に駆り立てられている状態に陥らない為にも、美しい言葉ほど疑問を感じることが必要になる。
戦争の時代に流される美辞麗句は怪しいと疑った方が馬鹿を見ずに済むだろう。知らない間に駆り立てられている状態に陥らない為にも、美しい言葉ほど疑問を感じることが必要になる。
基本的に人間は戦争に加担することから逃れられないものである。人々と繫がり大勢で助け合って生きるという名目には、排他的な劣性削除の気持ちが隠れているものだ。人間は常に物事に優劣をつけて生きているものであり、そこに自滅する落とし穴があるように思える。
生きていること自体が戦いなのだと言ってしまえばそれまでだが、だから人間は作為的な戦争に大義名分で駆り出されてしまう。誰のための何のための戦争か考えさせられるのはきっと人間の仕業のみだろう。
生きていること自体が戦いなのだと言ってしまえばそれまでだが、だから人間は作為的な戦争に大義名分で駆り出されてしまう。誰のための何のための戦争か考えさせられるのはきっと人間の仕業のみだろう。
人の営みに勇気や希望を与えるはずの美辞麗句が、戦争の時代には人間の弱みに付けこんでとんでもない呪縛に変化する。
信じ合い支え合い愛し合うという人間ならではの行為が疑わしいものに変質しないように、戦争の時代に流される美辞麗句には距離をおいて常に疑問を突きつけなければならない。
信じ合い支え合い愛し合うという人間ならではの行為が疑わしいものに変質しないように、戦争の時代に流される美辞麗句には距離をおいて常に疑問を突きつけなければならない。
2024-07-24 01:41
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