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人間関係の概念は社会通念によってつくられる [21世紀の種]

世の中は常に変動していて、その形跡が見えた頃には既に前時代的な価値観は淘汰されているものだ。時代の変化に合わせて考え方がついて行こうとするのであって、人の考え方によって時代が変わる訳ではないような気もしている。人間は自意識が強いから自分たちが世界や社会を作り牛耳っていると言い張るが、実際は世の流れに適合しているというのが真相なのではないだろうか。
しかし人間は「自然の流れに対して無力であり、より大きな力によって生かされている」という様なことが理解は出来ても他の生きものたちとは違って、受け入れられない構造になっている。そう思わなければ生きてゆけない何かが人間の思考を支配している様に思える。そして世の中の価値観が大きく変わったとしても、それにとらわれず相変わらず旧態然としたままのスタイルを維持し続けるものとして、私は人間関係に於けるセオリーの様なものを挙げる。何故、社会的に見て人間関係の構造は時代が変化しても変わらないのか。まるで金科玉条であるかの様に固定化されている様だ。これは何も自然界の力が働いているわけなのではなくて、人間が勝手に作り上げた概念によるものだと考える。人間関係に於ける様々なヒエラルキーも人間自身が「社会生活の知恵」として創作し選択して来たものなのだろう。

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誰かの言葉に「歴史は勝者によって作られる」というのがあった。そして人間社会の概念も時の権力によってつくられる事が多い。人間関係も然り。親と子の繋がりだけが本質的に繋がりといえるもので、それ以外は形而下的なものに過ぎないのだが、幾世紀かの時代が変わっても都合上その形は変わろうとしない。人々の脳裏に焼きつけられた概念として定着しているからであろう。
時代が進めばますます体裁の良い社会構造が規約と共に打ち立てられてゆく事だろう。そしてその中には新しい人間関係のコンセプトが美しい言葉で掲げられているだろう。しかし注意していなければならないのは、時代に即した美辞で形どられたスローガンは “臭い物に蓋をするためのものである”という事である。夢や理想を掲げて希望を持って進むのは良い事であるが、社会がそれを実現していると言葉にするには早計である事が多い。世の中には狡猾な罠が仕掛けられているからだ。

タグ:21世紀の種
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