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[覚書]我思う故に我在り/2021年 [【アーカイブ】]

◆最初はただ何となく作品づくりのモチベーションを高めるための思考メモとして始めたこのブログも年を重ねるとちょっとした回顧録にもなり…そして書き綴っている内に新しく取り組むテーマを発見するワークブックになったりもする。
◆これまでの思いつきメモの2021年一年間の中からいくつかの雑記をピックアップしてみた。自分自身の“今”を、思考の流れを辿って俯瞰してみるのも何かの発見になるような気がする。


今年はそろそろ終活を意識しようかと思っている。終活と云っても何も特別な準備や行動をする訳ではなく、そろそろ物事の限界を見極めながら人生の終着の在り方を実感してみるのである。
私が終活を考え始めるに至った理由はいくつかあるのだが、そのひとつに「堂々巡り」というのがある。
これまで様々な事態にも遭遇して、考え悩みながらもそれなりに答えや結論を出して生きてきた訳で、この先新しい局面に出会ってもこれまでの応用で考え対処する事は出来るものだ。そう考えると物事に対する答えは既に出ていて、その結果は常に変わらないものだと痛感してしまう。答えが出てしまっているのに再び答えを求めて道を歩むことはない。必要以上にものを考える蛇足な行為は往々にして正しかった答えを間違ったものに変えてしまうものだ。同じところを何度も巡って同じところに到達するのは、残された時間の少なくなった私には意味の無い事だと認識した。
何かに縛られながら自身を高める必要は感じなくなった。これからの私に求められるものは “私を越えた次の世界”に向かう勇気なのかも知れない。
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終わりの向こう側に顔を向ける事が私の「終活」なのである。
<令和3年1月・記>
このところ絵を描くことから心が離れていた。全く違う世界で仕事をしていた事もあって、日常の忙しさにかまけて絵を描くという意味を忘れていたようだ。
考えてみれば私の人生の原点は「絵を描くこと」にあったわけで、それから完全に離れてしまっては自身を逸脱したと云っても間違いではないだろう。気持ちを戒める。
私くらいの年齢になると絵を描くことは自分の人生の総括的表現になるようだ。これまでの人生、それぞれの時代時代に応じて当然考え方も変化して絵を描くテーマやそこに現われる生き様のようなものも移り変わって来た。私などは同じひとりの人間とは思えぬほどの変幻自在な生き方を環境も含めて移り変わって来たものだが…ここにきてついに終焉を感じ始めたように思える。
改めて絵を描く気持ちに立ち返って、果たして私はどのような生き様をしてゆくのだろうか…。
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最近、岡本太郎の作品と生き方を再認識した。かつては多少の偏見もあってそれほど評価をしていなかったのだが、改めて彼の偉大さに気づかされた。もっと若い頃に気づいていれば私の絵に対する姿勢も変わっていたかも知れないと思った。それほど脳髄に届く程のショックでもあったが、遅ればせながら気づけて良かったとも思った。
作家も芸術家も生きた時代によって表われ方は異なり甲乙はつけがたいものだが、受け取る者の心の琴線に触れるものが素直に良いものなのだろう。そんな気がする。しかし私は評論家ではない。どんな絵や作品が良いものなのか語る必要もなく、ただ終活の行為として素直に絵を描ければ、それが本来の最良の一枚なのだ。
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<令和3年2月・記>


自粛ムードでこんなに活力を感じない日本も久しぶりだね。でもそれは決して不健全というわけではなくて、日々の流れの中のひとコマと捉えれば異常でも何でもないと思う。
イケイケどんどんのお調子者をたまには休んで、行く川の流れに身を映し出して眺めてみる時間も良いものだろうね。かつて ’70年代中頃にシンプル・ライフとかユックリズムといった、それまで '60年代のモーレツ主義から脱却した自然志向の生き方にターンした時代があった。「のんびり行こうよ…どうにかなるさ」といった “身の丈志向”から、NTT株や土地転がしのバブル景気に邁進するまでの数年間は「経済2の次時代」の脱都会の田舎暮らし感覚が流行りでもあったのだが…。
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戦後の復興に邁進して疲れ始めた生き方に気づいたのが50年近くも前。しかし半世紀が過ぎていつの間にか同じ様な価値観と感覚に浸されていった様だ。新型コロナの席捲によって経済活動の鈍化に恐れおののき、オリンピックをやるのやらないのといった問題が第一優先の様に語られている今日この頃…嗚呼。
久しぶりのユックリズムに浸ってみるのも良いのではないだろうか?高齢者となって人生リタイア組の私だから言うのかも知れないが、もうひとつ別の角度から世の中や人生の生き方を見直してみれば新たな別の価値発見があるかも知れない。
そう云えばバブル絶頂期だったか、余暇ブームというのもあった様に覚えている。余暇をどう過ごすかという提案をコンサルティングする資格まであった。お金と時間が余っていたんですねぇ…豊かな気持ちも生活の満足に満たされなければ始まらないのでしょう。貧すれば鈍すという言葉があるくらいですからそんな事は当たり前すぎるほど分かっている。でもそこを従来の常識に流されないでひっくり返す発想を持つのが本当に知恵のある人間だと思うんですね。
コロナだとか何だか言っているよりも、そんなものに負けない生活スタイルを打ち立てる発想と気構えが必要だし今がそのチャンスなんです。これこそが私のよく言う「ネガティブ・ケイパビリティ」の一環でしょうか。
<令和3年3月・記>
人生はまるで幻想の中をトリップするようなものだ。ひとりひとりの脳の中で作られた世界に生きて、そしてそれを全うする。人間の命は現実に存在するが、そのほとんどは架空の世界で費やされているようにも思える。ヒトは現実に生まれては幻想を旅してそしてその命を現実の中で終える。
言葉の区切りで幻想と現実を区別しているが実際にはその分れ目は見当たらない様だ。どこまでが現実でどこからが幻想か、シームレスなグラデーションで成り立っていてその境目は個人によって違っている。本当のところは誰にも分からないからこそ、その解明がひとつの学術のテーマにもなって人間世界で価値を持っているとも言える。
一般的に「現実」こそが真実であって「幻想」は虚偽であるというのが通説になっている。果たして本当にそうだろうか?私たちが見ている世界が存在する真実で、空想する世界は存在しない虚構であると言い切れるだろうか?空想することを虚構の世界として否定してしまうなら人間の営みの大半は殆どが幻想で、人生とは夢幻の時間である。
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生命の価値、生きる事の価値はもしかしたら現実世界とは別のところに在るのかも知れない。もしそうだとしたら、私たちはもっと自由にのびのびと喜びを持って生きてゆけるのかも知れない。
<令和3年6月・記>
すべての束縛から解き放たれて
自分自身である事からも解放された時に
はじめて命の幸福を感じるのだろう
結局は自分を悩ませているのは自分自身の在り方なのだ
私は不満や悩みを持つことに否定はしない。
それは自分自身の投影であり己だからこそ背負っている宿命の様なものだ
人間であるからには生まれた時から人間世界の価値観で生きる様になっている
犬でも猫でも無い、人間であること自体が宿命なのだ。
不条理・不本意・不満足とどの様に付き合ってゆくか…
それもその人の人間力・器量の一部だろう。
そしてそれらを経てここに辿り着いた。
自分自身を解き放てれば、初めて別の価値観が見えるかも知れない。
現実もどきの幻想も全てが自分の世界での出来事だと気づければ
その悪夢の様な幻想から解放される。
人間に生まれたことの不自由さ不快感を受け入れられず背負えないのなら
自分の人生を否定して自殺の道を選ぶ事もあるだろう。
私はそれを愚か者とか馬鹿者とか言うつもりはない。
ただ自由と解放の道を見つけられなかった残念な者だったと言うだろう。
自分の命をその手で掴み切れなかった悲しい性だったと言うだろう。
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自分を超えた世界は存在する。
自分を超えた世界とは、自分に固執しない世界でありそれが「全てを許す」という意味になる世界の事なのだ。
その世界に触れた時に初めて、自分を超えることの意味の大きさを感じ取る事になる。
<令和3年7月・記>
自身の内に在る魂に回帰したときに気づいたのが茂田井武へのオマージュの念だった。
語る言葉は山ほどあるが、それよりも描く事によって敬意を表してゆきたい。
初めて彼の絵を見たのはもう十年以上も前になる。「古い旅の絵本」という題名でB5判くらいの質素な絵本だった。しかしページをめくってゆく内に私はまるで異国で出会った同胞の様な親しみを作者の中に見たのだった。
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 ↑ 茂田井武画集「古い旅の絵本」表紙より転写 (C)2021

僕は生きている。
絵の中に生きている。
これからも、この先もずっと
僕の中に絵は生き続けている。
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貧乏絵描きだった私は希望だけを片手に都会の中で生きていた。
何の変化もない味気ない日々の連続が
今となってはひたすらな青春の足跡の様に思える。
…歳を重ねたという事なのだろう。
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茂田井武という画家は私の忘れていた何かを思い出させてくれた。
そして絵を描くということは「自分自身をなぞること」だという事も教えてくれた。
自分自身を恐れていては、なぞることなどとても出来ない。
人生の古い旅の話しをしてみようじゃないか…。
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<令和3年8月・記>
「人生如何に生くべきか」答えに辿り着いたと思っても、それは砂漠で見つけた泉の様な蜃気楼そのものである。
時間を止めて氷の中に閉ざさない限り、答えは形を変えて変幻自在の顔を持つようだ。「正しい答え」とは一体どんなものなのだろう。
答えを求めて人生を歩いてみてもそこには時間と共に朽ち果てるひと時の幻影があるのみだ。
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雲の上の虹の門。辿り着いた門を潜れば答えの向こう側に更に問わず語りの声が聞こえる。そうだ、この声が聞こえる限り私の旅は終わらず私は問い続けるのだろう…。
答えの向こう側には新しい問いが待っている。この人生に辿り着くべく “解決”というものがあるのだろうか。永遠の彷徨いこそが人としての宿命なのだろうか…。
いま私はふたつの答えを持っている。ひとつは辿りつく事のない終着に向かって今この時を生きる事。もうひとつは原風景を顧みながら出発の原点に向かっての下山を進めること。相反するふたつだが、その融合があっても良いはずだと思っている。
辿り着く事のない永遠輪廻の螺旋階段。そこにひととき命のある事が唯一真実なのかも知れない。と同時に、その瞬時を精一杯生きることでしか人の誠を示す方法はないのかも知れない。
人生を問うことは出来ても、それに答えを与えることは死を迎えなければ出来ない。それが年老いた私の偽らざる感想だ。そして、そうやってまた放浪の旅が始まる…
<令和3年10月・記>
これは “人生黄昏時”の私の最終的な回答の様なものだ。
これまで様々な問いに自問自答してきたが、自分なりに納得のゆく “現時点での答”である。
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愛されて初めて「愛とは何か」が解かるものだ。自分の中に愛がないからと云って悩むことはない。それは愛を知らないからなのだろう。
愛される実感で神の存在を知ることが出来る様に、人間が愛を知るには愛されなければ知ることが出来ない。それ以外の「愛」の多くは欺瞞である。愛を説く者はまず相手を愛する事が始まりであり、そうやって相手に愛を知らせる事から始まるのである。
この世の中で最も強い者は「争いを止める者」だろう。争いに勝つよりも争いを止めさせることの方が難しく、また価値がある。
かつて若い頃にこんな事があった。気の荒い者たちが集まっていて衝突は日常茶飯事の職場だったが、そこで起こった殴り合いの大喧嘩の中に入り仲裁をして止めた事があった。なんとか仲直りをさせて治まった後で二人から一目置かれる様になった。互いの意地の張り合いで起こった喧嘩と云うものは、治めどころが分からずにエスカレートするものなのだ。恨みがある訳でもない喧嘩と云うものはそんなもので、それは国家間の戦争に通じるものがある。
「愛すること」と「争そうこと」に対する私のスタンスが分かったような気がしている。
<令和3年12月・記>
 

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