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戦時の様相を考える~コロナ禍と戦時下 [随想随筆]

 気まぐれに思いついたことを記してみる。若い頃と違って最近では戦争を語ることが少なくなった。それに自分自身が実際に戦争を体験した訳ではないので熱意を持って語る事には違和感がある様になったとも言えるだろう。
 しかしそんな私だったが最近のコロナ禍に揺れる世情をみて、ふと過去の戦争に翻弄されたこの国の世情を思い出した。あの頃も今の様に国民は右往左往していたのだろうか?大本営発表の戦禍の情報に一喜一憂しながら日々の暮らしを送っていたのだろうか?
 戦後数十年が過ぎてから、戦争を知らない若者たちが過去の戦争を総括した時代があった。私が学生だった頃、やや年齢が上の団塊と呼ばれた世代で反戦運動が盛んな頃だった。戦後生まれの数の多さで圧倒していた若い世代が、過去の年配の人たちの思考や文化を否定的に見ていた時代でもあった。そして当時の価値観から来る時代的判断や選択を一方的に否定する風潮があった。当時の人たちは、それほど無策で愚かな生き方をしていただろうか?私の祖父や叔父や父親たちは無策で戦争に埋没してゆくほど、それほど愚か者だっただろうか?

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 顧みて今のコロナ禍に翻弄されている私たちを考える。いまの私たちの暮らしぶりを太平洋戦争の中を生きてきた人たちの生活に置き換えてみる。当時も戦況報告という情報はあった。大本営から発表される報告は初めの内は威勢よく、まるで勝ち戦の如く発表されていた。しかしその後状況が変わって敗戦の色が濃くなれば竹槍で最後の一兵まで、いや民間人も駆り出されるほど追い詰められて、それに参加しないものは非国民として周りから石を投げられる様な有様だった。
 そういった民衆を扇動する様な情報を何の疑問もなく受け入れて異論に対しては徒党を組んでバッシングしたりする戦時下の姿は、まるで現在のコロナ禍に於ける数々の評論やそれに対するネットでの過熱状況を彷彿としてしまう。マスコミでの評論家も然りだが、SNSで様々な論を展開する“自称・評論家”にしても、これがかつて太平洋戦争の時代に戦争を論評していた者たちと変わらぬスタンスで論じている事に気づかないのだろうか?そして私が言いたいのは、今尤もらしく論じている “その場ご都合・評論家”たちはこの“戦争”が過ぎ去った後にかならず当時の“戦犯”を引きずり出し批判する立場を取ることで、自分たちの語った事を有耶無耶にしてしまうのだろう。
 事が過ぎた後で批判をする者の大半は、かつてそれに組みした者である事を私は知っている。 毎年8月15日の終戦日が来るとマスコミなど各方面で太平洋戦争に関わる番組があるが、今年令和2年の夏はぜひ現在のコロナ禍に於ける世情を重ね合わせながら考えてみたいものである。

 過去の戦争に於いては国家として提供された情報とそれを受け取る民衆との間に誤解とギャップがあったが、それは今でも同じで本来の目的である戦争忌避から離れて扇動される形で勝手に非難し合って自爆しているという姿が至る所に見受けられる。民間での討論争いに気づかなければ、今回のコロナ禍の様に「国難」に姿を変えて民衆は右往左往して同じ過ちを犯すことになるだろう

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いっぷく

コロナについては人によって言っていることがまちまちなので、「ほんとのところはどうなのか」というテーマでまたいろいろな人が出てきているように思います。結局のところ、自分のアタマで情報を取捨選択しし、どう対応するかを決めなければならないのでしょう。
by いっぷく (2020-08-12 23:26) 

扶侶夢

>いっぷくさん、ご来訪&コメント有難うございます。
様々な人たちが様々な意図をもって語っているのが現状ですから、一つ一つに惑わされない様にというのが正しい選択なんですが…でも世の中って流されちゃうんですよね、勢いに。
結局、もしもまた戦争が起こったら同じような行動を取るんでしょうね、私たちは。
by 扶侶夢 (2020-08-19 08:44) 

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