SSブログ

小説「ゼロの告白」/第十二章 [小説「ゼロの告白」]

【ゼロの告白/第十二章~選択肢としての自殺】

 その男は五十代の初め頃に一度死んだ人間である。いや正確には三度目と言った方が良いだろうか。子供の頃、海で溺れて死の世界を垣間見ている。そして車の事故で一命を取り止めたのは中年になってからの事だった。そして三度目は自死である。
 自殺の動機は人さまざまで納得できるものから理解できないものまで、それこそ千差万別と言えるだろう。この男の場合も、本人は真剣だっただろうが他人から見れば愚の骨頂かも知れない。表面上は事業に失敗して借金を重ねたという事になっているが、実のところは愛人をつくって散財したというのが一番の根底にある原因だ。滑稽で浅はかで愚かなその理由を自覚している本人こそは、誰に告白する事も出来ない憂鬱を持っている。世の中の多くの “謎の内”にはこういった封印せざるを得ない理由がよくある。あまりにも馬鹿げ過ぎて理由に出来ないものなのだ。

 そんな馬鹿げた原因は伏せておきながら、男の自殺に追い詰められた顛末の話は酒の場での余興話しでもあった。面白おかしく話している内に時も流れ過ぎて、当時の “生死の狭間にいる”切羽詰まった緊張感をすっかり忘れてしまったかの様だった。
 人は本当に懲りないものである。自分に都合のいい事しか覚えていないし、都合良くしか生きられない。そして自分に都合よく生きているつもりなのに、どこかで踏み外して転落してしまう、そんな愚かさも兼ね備えているのが人間というやつだ。あれほど苦しんで悔い改めた筈だったのに、二十年も過ぎた今、この男はまたしてもあの地獄の門の前に足を踏み入れようとしている自分自身を感じた。

 
samourai-glass.jpg

 かつて一度自殺の門前に立った事のある男は「死」というものが実はそれほど非日常的なものでない事を知っていた。何かの瞬間にゾッとする程リアルに目の前に現われる。自然災害や交通事故のように外からの力が働いて死に至る事と比べれば、事情は何であれ自己の判断に時間的余裕を持って自死を選択できるという事は、男から見れば幸いな事のように思えた。あやふやで曖昧な生と死の境い目を自覚しながら越えるという事は、別の視点から見れば “生命の最期の実感”とでも言おうかこの世に授かった生命を返還することへの畏怖の念でもあるような気がした。
 しかし今のこの男はそんな心境でもない。またしても死と向き合う状況になろうとは思ってもみなかったからだ。決して自分の意志でこの状況を作った訳でもなく、優雅に「死の境目」とか言っていられる心境でもないからだ。自分が蒔いた種とは云え半ば強制的な流れでこうなった事に、自分自身の至らなさを痛感していた。二十年前に踏んだ轍をまた踏もうとしているあの反省と教訓は何だったのだ?
 自分の知らない部分で死への準備が進められている事に気がついて愕然とした。自分の死を把握する事を知って納得のいった筈だったが、それほど単純なものでもなかった様だ。自分が自分である限りいつか来た道にまた足を踏み入れる事になるようだ。
 命を絶つことだけが自死ではない。生き長らえながら座して死を待つ日々も、自殺という選択であることに違いはないと男は思った。時代は平成三十年、天皇陛下が来年の生前退位を決定された時のことだった。

______________________________________

<この物語は「一人の男が自己に内在するマイノリティと対峙しながら成長してゆく」といった自伝的フィクションですが、無計画に執筆を始めたもので進行具合も遅く、今後の展開はあくまで未定です。あらかじめご承知おき下さい>


nice!(23) 

nice! 23

Facebook コメント

死を食べる-アニマルアイズ