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どこに目をやるか? [日々の背中]

毎日が忙しい様に過ぎてゆく。高齢者で半分リタイアしたような身分であっても悠々自適とはいかない現実が腑に落ちない。ま、自分の自覚や身の振り方のせいでもあるのだろうけれど。
身の回りにはたくさんの情報が溢れている。しかし自分にとって関わりのある大切な内容が一体どれだけあるのだろう?多くの他人事やどちらでも良いことに囲まれて、さもそれらが世の中を知るための必要な事のように追いかけて来る。実はそんなに大切でもない情報が作り出している“絆”というネットワークの正体とは何だろうか?高齢者の引きこもりと言われるかも知れないが、時々私はそれらにソッポを向いて何にも頼らず縛られない宙ぶらりんの浮遊感を味わいたくなる。

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日常は連続の積み重ねの様に思っているが、実はばらばらで一貫性のない羅列の様な側面も持っている。人間の許容性の中でそれらがすべて整合性のある理屈に合ったものの様にイメージされているが、本当は支離滅裂なものであったりもする。私は最近、人間は語られているほど立派でも利口でもないような気がしているのだ。
永遠をイメージする、絶対不滅を求める、唯一の存在を認める・・・私にすればどっちだって良いことに思える。それはアイデンティティの問題であり、一人一人の個人的問題なのだ。在る者には在るし、無い者には無いというのが正しいだろう。そしてそんな事よりも世の中の時間というものはどんどん移り変わってゆくという事実の方が私たちに決定的な現実を突きつける。
遠くで起こっている出来事を私たちはさも知っているかのように評することがあるが、実はその真相どころか表面上の事でさえ殆ど知ってはいない。“まるで見て来たかの様に”という言葉があるがまさに私たちは現場にいたかの様に物事を判断して評している。国内の事件でさえ正確に捉えられないのに、ましてや海外で起こっている様々な事件を文化的・宗教的側面も異なるアカの他人の我々にどうして是非の判断が出来るだろうか。
たくさん起こっているであろう不条理な戦争も、ジェノサイドも、人身売買も、政治的画策も私たちにとっては非日常的な事であり止める事は出来ない。決定的な現実とは今日のこの日の私の身の回りを理解する事なのだ。

空想を語る事は結構なことだ。希望や夢をネット上で描くことも良いかも知れない。しかし忘れていけないのは、今 目の前に蓄積されている切実な問題こそがこの先の自分を決定づけてゆくと云う事。

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青の風画

自分が見ていないものや体験していないことは
全て幻想かもしれませんね。
いやー
それら全ても幻想かも知れません。
by 青の風画 (2019-09-11 23:22) 

扶侶夢

>青の風画さん、ご来訪&コメント有難うございます。
多次元の存在を信じるとすると、この世のすべては幻想かも知れませんね。幻想でないものは「現在の自分の魂の感触」のみ?肉体でさえも生きている内だけのものですから。
幻想の中でどう生き切るか?これもテーマのひとつになりそうです。
by 扶侶夢 (2019-09-12 09:25) 

風船かずら

唯一の現実は今命があるということですね。自分の命はいつも何かを受け取り感じ、命をつないでいる。個人の原点であり現実なのかもしれません。無ではない、命があるということと人が信じたがる世界、面白いですね。
by 風船かずら (2019-09-15 11:35) 

扶侶夢

>風船かずらさん、ご来訪&コメント有難うございます。
人が信じたがる世界というのはどんな世界なんでしょうか…。ある意味で一人ひとりの個人的妄想とも言えませんか?
by 扶侶夢 (2019-09-27 10:50) 

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